【介護3認定から特養入居へ】母の急変と、私たち家族が選んだ“これから”の話(前編)
母が「要介護3」の認定を受けたのは、ほんの15日前のことでした。
これまで「要介護1」で何とか頑張ってきた母。週3回のデイサービスでお風呂をお願いして、あとは自宅でゆっくりラジオを聴いて過ごす日々。緑内障の進行で見えづらくなってきていたものの、なんとか自分で身支度もできていましたし、家族のサポートで日常生活を送れていました。
ただ、やはり介助が必要な場面は増えていて、特に私にかかる負担は徐々に大きくなっていたんです。
そんな中、夫が「区分変更申請しようか」と提案してくれて、要介護度の見直しを行うことに。これが、後に思いもよらぬ転機になるとは、そのときは思いもしませんでした。
結果は「要介護3」。
この認定により、デイサービスの利用回数や時間が増え、入浴・食事・排泄など幅広いサポートを受けられるようになりました。「これで少し気持ちに余裕ができるかもね」と家族で話し、久しぶりに小さな安心を感じていました。
でも、それは束の間のことでした。
ある日の午後、母がリビングの床に座り込んでいたんです。普段なら自室のベッドでラジオを聴いている時間帯。様子がおかしいなと思って声をかけると、母は「私はちゃんとベッドにいるよ。ラジオ聴いてる」と、まるで夢の中のような返事を返してきました。
そのうち、失禁があり、立ち上がることもできず、手足が震えている。これは普通じゃない、とすぐに119番。脳梗塞の再発を疑って救急搬送をお願いしました。
高齢者は高熱による「熱せん妄」を起こしやすく、それが今回のような幻覚や混乱につながったとのことでした。
幸い、早期に治療してもらえたことで命に別状はなかったものの、一週間の入院生活で母の体力は激減。驚くほど筋力が落ち、自分ではまったく立てなくなってしまいました。
さらには、主治医からの「認知症が進行する可能性が高いです」という言葉。これが、現実の重さを突きつけてきました。
退院後、母の生活はガラリと変わりました。
夜中に急に叫んだり、「ごはんもらってない」と繰り返したり。昼夜の区別がつかず、会話もどこかかみ合わない。トイレの感覚もあいまいになり、おむつの装着が必要になりました。介助がなければ排泄もできず、1日中目を離せない状態。
それでも、少しずつ筋力が戻ってきて、肩を貸せば何とか歩けるように。
「またデイサービスに行けるね」と前向きに話していた、ほんの数日前。
でも、現実は甘くありませんでした。
施設のスタッフやケアマネージャーとの話し合いももちろん重ねてはいましたが、最終的に特別養護老人ホームへの入居を考えるきっかけになったのは、実は別のところにありました。
それは、家族の中のある「小さな声」から始まったもの。
日々の介護のなかで、見過ごせない変化が確かに起きていたのです。
その出来事が、私たち家族にとって決定的な「転機」となりました。
けれど、その話はまた次回に詳しく。
どうして私たちが入居を決断するに至ったのか——
そこに至るまでの、静かだけれど重い葛藤について、ゆっくりと綴りたいと思います。
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